無垢の木に触れたとき、
どこかホッとする瞬間があります。
そっと触れて、優しく感覚を確かめたくなる。
手に伝わる重さ。 すべすべとしたなめらかさ。 ほんのり残る木の香り。
それらに触れたとき、 頭より先に、身体が安心しているような感覚。
人はずっと昔から、 木とともに暮らしてきました。
道具をつくり、 住まいを整え、 火を囲み、 食事をし、 日々を重ねてきた。

木は、特別な存在というより、 太古の昔から、
暮らしのすぐそばにあった素材だったのだと思います。
だから今でも、 無垢の木に触れると、
私たちの中に残っている とても古い感覚が、
静かに目を覚ますのかもしれません。

木の器を手にしたときに感じる、 言葉になる前の感覚。
忙しい日常の中で、 ふっと呼吸が深くなる瞬間。
そんな、 説明しきれないけれど確かにあるものを、 大切にしたいと思っています。
癒しは、本質にふれること
木には、人を癒してくれる力があると感じています。
便利で、軽くて、 均一なものに囲まれた毎日の中で、
なぜか少し疲れる。 なぜか落ち着かない。
そんなとき、 理由は説明できなくても、
自然素材に惹かれるのは、 とても自然なことですね。
それは、 新しいものを求めているのではなく、
本来の感覚に戻ろうとしているだけなのかもしれません。
無垢の木に触れると、理由は説明できないけれど、どこかホッとする。
それは、人の奥深くに残っているずっと昔の本能や記憶と、
静かにつながるからではないでしょうか。
癒されるって、どんなことでしょうか?
それは、本質に触れて、人と何かが共鳴するから
ほっと安心してしまう。
例えば、
太鼓の音を聞いて、なぜかしっくりくるとか、ぐっとくる感覚。
これは、母の鼓動を思いだしているかもしれないと言われていますが、
それに近いかもしれません。
ここでは、答えを急がず、感覚を信じながら、
木の器がどうして使われ続けているのかなどを
言葉を重ねておつたしていきます。


